クラシック音楽を楽しむ広場

クラシック音楽を聴いた感想を記します。

マーラー:交響曲 第6番 「悲劇的」第3楽章 クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ

 

テオドール・クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ マーラー 交響曲第6番 イ短調「悲劇的」

 私、グスタフ・マーラーの曲がとても好きで、長年、聴き続けてきました。ただ、ここ最近は、この第6番 交響曲の第3楽章を単独で、聴くという風変わりな聴き方をしています。

 第3楽章には、第1ヴァイオリンが奏でる旋律に、第1楽章の第1主題の一部が出てきます。やがて主部は、フルートからイングリッシュ・ホルンへと旋律が引き継がれます。

 牧歌的平安に満たされた中に、不安や陰りが、散りばめられた曲調で、私は、この流れていく音楽の中に、いつ果てるともしれない微妙な均衡が、たまらなく魅力的に聞こえます。まろやかで美しく、「悲劇的運命との闘い」前の静けさなのでは、ないでしょうか。

 

 作品の背景を知るために、各種ライナーノーツを読むと、興味深いことに、この作品に対して二つの逆のとらえ方が書いてあります。
 ①妻アルマの回想の言葉から、「交響曲第6番は、最も深い失望に包まれている。」
  身近にいた人の言葉だけに、そうかなとも思います。

一方
 ②マーラーが作曲家としても、日常の暮らしからも、比較的安定していた1903年から1905年に作られた作品で、そもそも、「悲劇的」という、標題も初演時から言われてはいるが、マーラー自身の命名かは定かではない。
(ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ドイツ・グラモフォン版のライナーノーツより)

→私の意見は、後者②で、理由は
 まず第1楽章を聴いてみると、勇ましい行進曲風に始まることからも、私には、「悲劇的」には聴こえません。
 それに、悲劇的というなら、第1番から第9番までの多くの作品に共通して言えることですし、何もこの第6番だけを特定して「悲劇的」というのも自然でないと思います。
 結局、どの音楽解説者の意見も「悲劇的」という言葉にとらわれすぎていると感じます。
 
 ただ、全体を通しての感想は、第1楽章の始まりの音を聴いた瞬間から、運命の重圧からの闘争を描いているとは、感じます。「悲劇的運命との闘い」という言葉が、この第6交響曲の音楽にふさわしいと思っています。
その意味では、第3楽章は、闘い前の「静けさ」なのかもしれません。


今回の記載は、
ブーレーズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー と
ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ フィルハーモニーをベースに、

 

新たに世に出た、クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ の演奏を聴きながら書きました。 

 特に、クルレンツィスのライナーノーツを読むと、「第6交響曲は20世紀の大破局を本当の意味で先取りした最初の交響曲である」とのコメントがあり、一読しても、あまり意味がよくわかりませんでした。しかし、記載内容、彼の意見コメントは、一見奇抜に思いますが、演奏の解釈は、正攻法だと私には思えます。だから、聴いていても、心地よく安心して聴けます。
 この指揮者は、モーツァルトの:ダ・ポンテ三部作を録音し、チャイコフスキーの悲愴交響曲、ラモーのオペラ、バレーからの舞曲を録音する中で、少し飛び石的に、マーラー録音、しかも交響曲第6番というあたりに、彼の美学が見え隠れします。

 マーラー交響曲をまず聴くという方には、第1番の「巨人」をおすすめしますが、何曲か聴いた方には、この第6番交響曲「悲劇的」を、次に推奨します。しかも、クルレンツィス指揮 ムジカエテルナ の演奏は、聴きごたえがあります。

 

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 テオドール・クルレンツィス/マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」 (tower.jp)